幸福論

たまにはエッセイっぽいものも書いてみたりします。
「幸せにするよ」
「君が幸せになればいいよ」
などなど、人生においての漠然とした目標として「幸せになる」ということがあるのは事実です。
幸せなのか不幸なのかそれはその人自身が決めること。
ですから、厳密に言うと「幸せにするよ」という意味は「あなたに毎日多幸感を感じさせてあげる」
ということになります。
ですから、第三者からみてどんなに恵まれた生活をしていようが、自分は不幸だと思っていれば不幸ということになります。
あんなに美人に生まれていいな。。。。
と誰もが思っても本人は以外と自分の顔が嫌いだったりするかもしれません。
また、幸福感というのは絶対的なものではなく相対的なもので感じることが多いのも事実です。
つまり、過去と比べて今の自分は恵まれていると思ったり、まわりの人と比べて自分は恵まれていると思ったり
することによって感じることがあるわけです。
食料や水が不足している国の状況をみて自分は日本に生まれてよかったなと思ったり、
過去の自分はぜんぜんもてなかったのに、最近はよくもてるようになったから「ちょっと波がきてる?」なんて思うのです。
逆のパターンだと不幸感を感じます。
自分より美人だと思う人ばかりまわりにいれば、自分はなんてブスに生まれたんだろうとか思ったりするし、
一度栄光をみて人気者になった人が、人気がなくなってくればなんて落ちぶれたんだと思うかもしれません。
幸福感を相対的に感じようとすれば、今の自分が優越感を感じることができる人が必要になったりするわけです。
知らず知らずのうちに自分の自慢話をしたり、人の失敗を喜んだりしているかもしれません。
しかし、そういったことから得られる幸福感は一時的なものであり持続性もなくあとでむなしくなったりします。
そこで、相対的に幸福感を得るのではなく絶対的な幸福感を得ることがとても大切になると思っています。
絶対的幸福感とは、
「ただ好きな人のそばにいるだけで得られるもの」だったり
「自分自身と戦って勝つことによって得られる達成感」からくるものであったり
「自分を必要としてくれる人がいること」から感じるものだったり
します。
つまり比べて感じるものではなく、そのこと自体が与えてくれるものなのです。
人は相対的な幸福感も絶対的な幸福感もどちらも感じるときがあります。
ただ、意識して「絶対的な幸福感」を味わうために毎日を生きるとなにかが見えてきたりすると私は思っています。